日本での生活に賭けた外国人へのサポートは十分か
昨年12月にAPFSで開催しました講演会「どうなる日本の外国人労働者受け入れ政策」の報告書に私が投稿した文章を、ここに載せたいと思います。
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私は2018年よりAPFSでボランティアスタッフとして外国人支援に関わっております。私は祖父母が戦前に南米(アルゼンチン)に移住した、いわゆる日系一世であり、その後日本に嫁いだ母(日系二世)から生まれたので私自身は純粋な日本人ですが、小さいころから中南米出身者が周りに多くいたこともあり、日本に住む外国人はとても身近な存在でした。2005年にはアルゼンチンから叔父・叔母・いとこ達も出稼ぎに来ました。彼らが来日した後、就労環境や学校の問題で色々な問題を抱えたことはすぐに察知しました。
私自身はそれまで日本に住む外国人とはあくまで友人関係でしかなかったのですが、ある時、日本で苦労している外国人に少しでも力になれないかと思い、地域のボランティア日本語教師を数年間続けてきました。それはそれで楽しい経験でしたが、地域で日本語を学ぶ外国人はある程度生活基盤が安定しており、それほど大きな問題は抱えていない人が多いことに気づき、今度はもっと広い外国人の実情を知りたくなりました。それがAPFSと関わることになったきっかけです。
2018年は日本に来る外国人労働者にとって政治的に大きな動きがありました。それは政府が外国人労働者を裏口からではなく正面から受け入れようとする政策へ一部転換しようとするもので、これ自体は進歩であると思うのですが、その本質は何も変わっていないのではないでしょうか。日本人の働き手がいないと言う産業界からの強い要望によって、低賃金で雇うことができる外国人を単身で短期間のみ受け入れる。つまり外国人労働者を信頼して日本に定着してもらおうとは一切考えていないわけです。
ここで祖父母のように、日本から海外に移住した移民たちのことを考えてみると、彼らは戦前から戦後にかけて、当時貧しかった国内の地域から抜け出して海外で一旗揚げて帰国しようと企てたのです。まだ20歳そこそこの若者が、日本にいればそれなりに謳歌できたはずの青春時代を投げうって、全てを捨てて希望を膨らませて新天地に渡りました。行先はハワイ、北米、南米、中米と広範囲にわたりましたが、当時現地国では、農業その他産業で顕著だった労働力不足を補う必要があったため、需要と供給が一致していました。
ところが皆さんもご存知のように、多くの移民たちは現地で厳しい労働環境に見舞われたり、低待遇や差別にも苦しめられました。それでも、特に日系一世の方々が頑張ったことで、一部の日系人が成功・活躍して現地に大きく貢献し、現地で日系人の評価を大きく上げました。現在も北米・南米では多くの日系人の子孫が市民として普通に暮らしていることは、苦労した日系人の歴史のおかげだと思います。ただしここで付け加えたいのは、当時日本人移民を受け入れた諸外国は、家族帯同を認めていたことです。独身では途中で諦めてしまうことも、家族の支えによって乗り越えられたのではないかと思います。
翻って日本の今の外国人労働者受け入れ政策はどうなのか。来年から新設される在留資格「特定技能1号」は、基本的に家族帯同は不可で、期限いっぱい頑張って働いたとしても永住権は取得できない資格となっています。
このような就労環境で、過去日本から海外に渡った日系一世のような気概あふれる、やる気に満ちた外国人が今後どれほど来てくれるでしょうか。政治家含め、私たち多くの日本人は、海外に渡る移民労働者の強い「覚悟」に気づいていない、理解していないのではないかと感じます。恐らく、既に日本で生活している外国人の多くは、来日前に相当な「覚悟」を持っていた、あるいは今も持っているはずです。例えば「母国の家族を経済的に自分一身で支える」、「自分は二度と母国に戻らないつもりで日本で生活する」、そういう外国人は、生活に対するサポートが十分あれば、しっかり日本社会に貢献してくれるでしょう。
そのような意欲旺盛な外国人をサポートし、彼らが日本で普通に活躍できる社会にならなければならないと強く感じています。