移民の地位を築いたハワイの日系人

今年2018年は、日本人が初めて海外に集団移住した1868年から150周年だそうです。

ハワイからサトウキビなどの農園で働く移民労働者の要請を受けて、サイオト号という船でこの年153人が横浜から渡ったのが最初です。

当時のハワイはハワイ王国と言ってアメリカとは別の独立国でした。ハワイでは当時農業従事者が不足していました。

そのため在日ハワイ領事だったヴァン・リードが江戸幕府と交渉して、移民を日本から送り出す合意を取り付けていたのですが、実現前に明治維新が起こってしまい、その合意が無効になってしまいました。

それで、ヴァン・リードは1868年に無許可で強引に移民をハワイに連れて行きました。これが最初の海外への集団移民だったわけですが、
この年は明治元年だったため、最初の153人のハワイ移民は「元年者」と呼ばれています。

その後、政府主導や民間主導でどんどんハワイへの移民は増加していきました。
1894年にハワイはアメリカの属領となりましたが、日本からの移民は1924年まで続きました。
当時の日系人は約15万人でハワイ人口の4割を占めていたと言われています。

現在日本に住む外国人在留者は約250万人で、総人口の2%ですから、その比ではないですね。
日本と違い移民に寛容な社会だからでしょう。

でもやはり移民の当事者というのはそんなに生易しいものではなく、特に日系1世の方々は大変苦労したようです。
慣れない気候での、過酷な労働環境や、他の人種よりも日系移民の賃金が低いなどの差別待遇もあったようです。

それでも日系移民の働きと頑張りによって、ハワイで徐々に地位を築いていきました。
日系一世の子どもの二世では、アメリカ本土の議員にもなった人もいます。

また、日系人にとって災難だったのが太平洋戦争です。
開戦後、アメリカ本土では多くの日系人が強制収容所に入れられました。

ところがハワイでは、当時すでに人口の4割もの日系人がいたため、日系人の強制収容者は約2000人にとどまったようです。逆に、日系二世たちは、米軍の部隊として志願して戦闘に参加していました。
そこで彼らは多くの功績を挙げ、アメリカから最も多くの勲章を受けた部隊もハワイの日系人部隊でした。

この事実は、私たち日本人にとって複雑な気持ちになりますが、
実際ハワイの社会に溶け込み、貢献してきた日系移民の力の強さの表れだと感じます。

日系一世の方は祖国愛というものが何よりも大きかったはずです。

けれども現地で生まれ育った日系二世、三世以降の世代では、祖国といっても日本はピンと来なかったでしょう。

下の世代になればなるほど、外見は日本人のようでも、メンタリティーはアメリカ人に近づくのはごく自然なことでしょう。
もちろん、日系人としてのアイデンティティは後世にもちゃんと受け継がれているようです。

私は過去に一度しかハワイに行ったことが無いのですが、それでもハワイに行くと、特にホノルルあたりだけなのかもしれませんが、日本語は通じるし、日本人にとっての居心地の良さを感じました。

これも、ハワイの日系人が代々受け継いできた日本人の心や文化が消滅していない証ですね。

日本では、移民政策と言えば、やれ治安が悪くなるだの、日本人の雇用を減らすなど、マイナス面ばかり強調されており、政府も「決して移民政策はとらない」と断言していますが、日本人が移民として、海外で残した多くの功績をふり返ってみて、どうすれば移民が日本に溶け込み、日本に貢献したいと思ってくれるのか、よく考えてほしいと思います。

決して、短期間の労働者としての受け入ればかりを進めていたのでは、多くの外国人は日本に定着せず、貢献もしてくれないでしょう。

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