南米に渡った日本人移民の野望と覚悟

先日、横浜の海外移住資料館に行く機会がありました。

私は、祖父母が秋田県から南米(ブエノスアイレス)へ1930年代に移民として渡り、彼の地で生涯を生きられたので、

そのルーツを改めて知る良い機会となりました。

ここを訪問したのは初めてで、祖父母に関する昔の資料なんて残っているのかな?

とあまり期待せずに訪問したのですが、

それほど大きくもない資料室から、祖父母の名前が記載された文献が、結構たくさん出てきたんですよ。

2~3時間の滞在でしたが、10冊以上の文献が見つかりました。

とはいえ、膨大な資料の中から私が自分ですべてを探し出せるわけは無く、資料室の受付にいらっしゃった女性に100%以上頼り切ってしまいました。(笑)

つまり、私がお伝えした祖父母の氏名や出身地、渡航先、渡航年などの情報だけで、短時間で10冊以上の文献を探し出して頂きました。

「さすが」です。びっくりしました。

祖父はブエノスアイレス郊外へ移住後、花卉業(花栽培)で生計を立てていましたが、文筆家でもあったらしく、

祖父本人が書いた記事もいくつか見つかりました。

これらを全部読んでみて、私が親からも詳しく聞いていなかった祖父の様子や、アルゼンチンの移民の実態などをかなり知ることができました。

祖父に限らず、当時南米に渡った移民の多くは、20代の若者が多く、彼らの多くはそれまで住んでいた日本での暮らしや親・兄弟あるいは友人とのつながりを捨て、 新天地での希望や野望を持って、はるか彼方の南米まで移り住んできたのです。

もちろん、短期間で成功して日本へ帰国する「一時的移住」を予定していた移民も多かったんだろうと思います。

ところが実態は、まだ20代の若者が考えるほど、新天地は甘くは無く、大部分の日系人は現地での地業や商売がうまく行かずに苦労した人が多かった。

終戦後は、荒廃した日本にはもう戻ることもできないと考え、現地で生涯を過ごす覚悟を決めた人達が多かったようです。

ここで私が言いたいのは、

海外へ移り住む「移民」の心情です。

今のように、あらゆる場所で情報が手に入り、行こうと思えばいつでも世界中どこへでも不安なくすぐに行ける時代とは違う。

家族も今までの自分のまわりの環境も、淡い青春時代も「全て」捨てて、何もかもが新しい場所に希望を持って行く、というその覚悟です。

相当な「人生の賭け」であったことは間違いないでしょう。

祖父が書いた記事にもその気持ちは鮮明に記されていました。

何しろ、頼れるものは現地に先に行って生活している、「日本人」しかいなかったわけですから。

多くの人は、先に現地へ渡り、ある程度生活が安定し始めた日本人からの呼び寄せにより、移り住んだということがわかりました。

海外移住資料館を訪れた日以降、この一大決心をして現地へ渡り、そこで道を切り開いた祖父母に対して、畏敬の念を抱くようになりました。

「すごいな」

と同時に、「その一端を私も引き継いでいるな」とも感じています。

さらには、今日本に住んでいる外国人が、最初来日したときに抱いていたであろう「希望」や「野望」について、色々と知りたくなりました。

身近な人達に聞いてみようと思います。

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